抽象の正体

ある本を読んでいて脳が触発されたようでとつぜん抽象の正体がみえた。
抽象とは心の事をいう。
心とは何なのか? 何処にあるのか? その問いにも答えが出た。心というのは抽象的な物を理解することができる人のみが持っている脳の機能である。

他の生き物は具体的な機能にのみ反応して生活をし子孫を残している。しかし、人は進化の過程で突然つながらないところにまで電気信号シナプスが届くようになり、そこから少しづつ妄想という思い込みが生活の中に介入してくることになった。

人間には妄想が必要か?むしろ不要の厄介者か?
人は心に惑わされるがままに生きてしまうことがある。心の生み出す抽象現実はまことに個人的で正解などない。そのあまりに自由で奔放な心を個々人は制御して人との間にゆるやかなつながりをもって自分の心とひととの歪みを修整しながらおたがいの協調性をもとめいあい合理的な社会を形成している。

この爆発するほどの抽象的な心こそ、ARTの源になっているといえる。
ARTは奔放で自由な心を受け付けた。
そのおもしろさこそARTだ!といわしめている。しかし、この人の自由が逆に協調性を求めた言語になりつつある。
「ARTとは、こういうものをよぶのだ。」とか理解できるカテゴリに当てはめられる物がARTだとよびはじめている。
それならば、具体の塊、真実の塊を人に突きつけてみようではないか?と思う。鉱物という物理化学の結晶、自然と時間の真実の具象を人は理解できるだろうか?
その、あまりにも具体的なものの確信でありながら抽象的なフォルムという両方をもちあわせたこの物に私は神がかった宇宙を感じ、これこそARTの源なのだと感じた。