ターナーの描いた自然と現代からの眺め

以前ターナー展というのを盛大にやっていた。丁度今年の2月3月だとおもう。海外で散々見た巨匠の絵が良い感じにレイアウトされたポスターを街でみると、すこし気になっていた。その理由が分かった。
 近代というのだろうか?最近の事、僕はオフロードバイクを乗るようになった。何度か借り物でいろいろ連れて行ったもらった時、これは現代における馬になっているのと同じだなと感じたからである。昔から乗り物は好きである。なぜならノーマル装備の自分では体感できない感覚や、いけない場所、見れない物を見せてくれるから。乗りこなすおもしろさとともに、生身ではいけない所まで僕をつれだしてくれる。

ターナーの絵を思い起こすとどうだろう、その絵は荒れ狂う自然に自国の先頭の風景や自分の感情を壮大な自然で表現した絵が多い。つまり、計り知れない宇宙的で驚異的な感情がまさに自然のような手のつけられない、近づけないおおきな力だという表現に使われていたわけだ。数百年前の人にとって、自然とは恐ろしく荒くれる手のつけられない巨大な壁であったことを見て取れる。非現実的な秘境の境地を絵のちからをかりて見たり見せたりしていたわけだ。

そこにくると現代ではどうだろう?近代文明と企業努力のおかげで乗り物や道具、衣類は格段に進化し、自然を恐れずにぎりぎりまで近づくことができるようになった。とうてい見ることが出来なかった辺境の風景をこの眼でみることができるよういなったのである。
これは、最高の贅沢ではないかと考えた。
そして僕はオフロードバイクを迷わずかった。大金持ちが最後に手に入れるたがるのもやはり非現実のような自然の風景である。現代において大富豪にならなくてもその景色はちょっとした出資と物の見方で手に入れることができることを知っていると得だと思う。
ようは何処をどうみているか?である。