はっきり違う、絵とART

8月の展示会で、ようやくARTというものが何なのか分かってきた。
絵描き、現代美術、おそらく彫刻や写真もそれぞれの在るべき姿、差異が明確に成った。
時期を察するように先人である著名な60代の絵描きと写真家と話をつきあわせることも出来、考察は確信になった。

絵と現代美術は全然違う物だった。
こういう差異は誰も教えてはくれない。
絵は絵の力だけで、その他の絵描きと競争しなければいけないのだ、それは過去の名だたる巨匠やスターと競争することでもある。深い歴史のある絵の世界はものすごいリスクのあるジャンルというわけだ。そして、絵が好きだからこそその競争に打ち勝てる職業でもある。絵そのものに猛烈に引きつけられて四六時中絵のスタイル、表現手段を模索する必要がある。その先に行けるかどうか? いけたかどうかで、絵描きかどうかが決まる。



現代美術はまるでちがう、何をやったっていい。何をやってもだ。
ヨーゼフボイスのように現代社会をみて、何も創らずに考え方だけでサラリーマンを「社会彫刻」というきりくちでみせることも、デュシャンのように「今日から絵は描かない」という何もしない行為をARTとしとしてもいい。この二人のARTは現代美術を大きくかえ、今も直世の中のARTに関わる人に影響を与え続けている。(両方共に故人)
どんな反則技もみとめるから、「世の中の価値観を変えてみなさい。明日の朝から考え方が変わる物事を提示しなさい。」というのがARTである。

つまらなくても、受け取り方、見え方、がかわるものならARTではある。
大なり小なりARTだといえるだろう。
俺が詰まらないと思うのはこの辺りで、興味や趣味が自分にあわなければどんなARTも詰まらない。それと「ねっ、おかしいでしょ」みたいな安い感じのするARTは論外だ。お笑いの足元にも及ばないような陳腐なものは辟易する。心から関わりたくない。その境目と切り捨て方が良くわかったので現代美術がよりすきになった。

本質を見極めるとは、本当に難しい事だがこれほどにおもしろいことはないと思う。
いままで見えている風でまったく気づいていなかったそんな世界が垣間見え始めた。
今までとは全く違う観点から自分を編集し直している。作品が大きく変わると気づくのはおそらく今まで僕を見続けてきた人達だけだろう。とにかく読まなければいけない本、覚えないといけない事がたくさんあるので勉強している。