構図

構図というのは、「いかに見ていられるか?」を考えられるべきだとおもっている。人間は、言葉ではあらわせれない感覚をたくさんもっていると信じずにいられない、あまりにも説明できない言葉にできない、表現に苦しむが、確実に感覚として感じる物事が多いからだ。時々諦めている人が抽象的なジャンルをいいことに、感覚を言葉にしようと努力しない怠け者がいるが、こういう人は年を取ると同じことを何度も言う説教糞ジジイになる危険性が高い。

人間は無意識に観察をしている。構図をみるとは、動物に備わった感覚機能を作為的に構成し利用するとものだとおもっている。ARTの場合その手段が問われることはないがいかに見ていられるものを構成するかが重要。

兎に角「見てられるのか?」「見るに値するのか?」。

自分がフォーカスしてきた物事を表現するために形を生み出しその構図を見出していくのが非常に難しい。見ていられるとはとても重要な事だとおもっている。

頻繁に焚き火をするようになって15年ぐらいたつか・・・常々思っていた事が合わさって確信になった。それは焚き火の炎の燃える様はいつまで見ていてもあきない事への答え。

それは「みてられる構図を連続的に網膜に提供してくるから」。

そんなことは当たり前の事でとっくに誰かが言ったことかもしれないが、今初めて言葉で具体的に理解できたわけだ。そういう物は、いつまでも見てられる。いつまでも見ていられる作品というのが重要だ。