2011年8月アーカイブ

写真

杉本博司のDVDをみたのだ。
そこで英語の流暢な彼はきっぱりと説いた。

「写真が驚異的だったのはその真実性、納められたいる物は 一度は存在したという事を意味しています。だから写真が発明されてから警察は事件証拠として活躍してきました。デジタルフォトは加工しようと思えばいくらでも出来るそれは写真とは違うものなんです」と。

つまりこの事は【デジタル写真機】と【フィルム写真機】をあつかう者に作品の概念を問い直すことになる。
写真機の特性である「真実性」にこだわりの無い人と、それにこだわる人とでは、大きなさ違いが必要である。
写真家の特性を活かす場合は真実性に特化するのか?はたまた画像を作る道具の一つとしてデジタルカメラを駆使してART、創作画像とするのか? 
今後このことに注目して写真作品を見ていくことにしよう。

それにしても、杉本博司のものづくりはおもしろい。

突然の知らせ

mont-bell【モンベル】でTシャツを作る事になったのは、さかのぼること12年ほど前、四万十川でカヌーレンタルのアルバイトをくりかえし、日本の川の虜になり始めていた20代前半、裏の顔を鉄の研究者、表の仕事を釣具屋とし、日本稀少魚の会会長でもあった岡田光紀さんにたのまれ、稀少魚の会のTシャツをつくるための絵を描いてくれと頼まれた絵を、モンベルの会長が2010年にみつけて連絡してくれたということに端を発している。そして、12年ぶりにこのTシャツは正式に2012年春夏用としてモンベルから全国で発売されることになる。そんなこんなを連絡しようとひさびさに岡田さんに電話をかけたら俺より年下だった息子さんがでられて、今年の5月に亡くなったという。

いくつもの映像が前頭葉で編集されないままながれていって息がもれた。

けんかも、あそびも屈強な芯を体と心にもちあわせていたおじさんも、気管が強くないということは喘息に咳き込む昔からしっていたが、まさかの他界に自分の黒目が少し小さくなるのを感じた。そして、僕はその2週間ほど前に母方のばあちゃんも無くしているので、人の死について考えをはせることになるわけだが、この度の印象は人間の生はあっけないという事につきた。さまざまな情報で人の値打ちをすりこまれているが、やはり虫の命も、草木の命も、人の命も同じように突然つきてしまう。そしてつきるというのは生命にとって必然の幕引きであり、特別ではない。

あらためて死を恐れない人間になりたい、死が来るまでにはなすべき事はなしたいとおもうのだが、どうにも自分の欲望にはひまがかかってしょうがないし、いくら宗教の勉強をしたところで一向に死への恐怖はやわらがない。