本当の理由

 絵を描きながらラジオを聞いていた、アウシュビッツ、フォロコースト経験の事を話していた。絵を描きながら脳みそが勝手に走る。
戦争に行った人は、戦争に従軍して帰ってた事への表現に困っているように見える。
帰還兵、遺族、国、対戦国、どの意見を聞いても釈然とせず、いつも違和感が残っていたがふと答えが出た。

戦争にかり出されたどの国の人も、きっと「家族のために戦争に行ったんだ」と。

家族を養わなければいけない、
家族を非国民にしてはいけない、
子供に胸を張れる人間でなくてはいけない、
男として格好のつかないことはできない、

国は、国取りゲームにこれを利用したのだ


日本人の切腹も同じでは無かろうか?
どうせ死ぬなら自らこんなに苦しいことを堪え忍べるほど自分は人間として上質だと・・
限度を超えた「忍耐」こそ昔、武士の概念と呼べる物だったのかもしれない。
無念にも自分で命を絶たねばならないが、家族へのメッセージを込め、今後の家族のために度の超えた忍耐で武士らしさを表現したのだ。
武士道」 著者:新渡戸稲造でも壮絶な切腹のドキュメンタリーが描かれていたが、何がそうさせているかというと、家族への誇りだろう。
 
特に日本人は「本当は行きたくない」といえる状況ではなかった。
ならば、喜んでいくという体裁に自分を暗示にかけたのだろう。そして男らしく武士らしく、どうせいかなければいけないなら家族に喜んでもらうために・・・

感動したマラドーナの言葉をおもいだした。
「僕がサッカーで成功したのは、お父さんが僕にサッカーを習いに行くバス賃を出してくれたからさ、あのバス代をお父さんが出せないほど家族が貧乏なら、僕は家族のために働いていたよ」