2009年11月アーカイブ

目の前の風景

春から秋にかけて、船にのり瀬戸内海に出かけることが多い。海の上には、海の上にしかない景色が広がり、自分のサイズを実感できる。遠くに見える雲から落ちる雨、海面を凪いでゆく風の通り道、光差し込む海に潜む生き物の気配、そして移ろいゆく島風景、音。


 車を何百代も海外に運ぶのだろうか?自艇の数百倍もある貨物船、巨大なタンカー、島々をつなぐ巨大な橋脚を間近で見ると人工物の存在感にを圧倒される反面、人工物の固まりの行く末をも僕は創造してしまうのである。

それは街で見かける放置建築(道路)、すぐに計画が憤りそうな六でもない政治手動の箱物建築や商業施設も同様。これらの行く末は容易に想像がつく、それは途方もない量の産業廃棄物であり、途方もない量の環境への悪影響だ。

 そしておもいをはせる。流行物好きの日本人がECOめいているが、夏になったら手酌で水をまいて地球の温度を冷やそうとしたり、スーパーで購入した食材のトレーを回収したり、ゴミを分別をさせたり、いったいこの凶悪な産業廃棄物の前にいかほどの抵抗が出来るというのだ・・・


恐れ多くも地球を介護するECOごっこが生活の中にのほほんとはびこり、人々の善意をもてあそぶ。一連のサイクルに憤りを感じる。僕の目の前にあるこの廃墟と化した数々の建造物は、いったいっぜんたいスーパーのトレイ何枚分なのだろうか。あーばからしい


世界でも希有な日本の風土。

河が無くなり、森が放置され、海岸を工場にしてしまった事実を山の上から実感したとき、あーもったいねえなぁと心から感じ入るのである。

入れ知恵された環境教育よりも、自分で行動し、学び、感じれる「美意識」の方が遙かに高級な人間性だと信じている。

さて、僕は残された自然で死ぬまで生を謳歌することにしよう。